昨日とは違う靴を履く

結局 僕らは夢を追いかけた

ポルノグラフィティが世界の中心になった

前回の記事を書いてから相当期間が空いてしまった。この期間いろんなことがあった気がするし無かったような気もする。ダイエットして5キロ落とした体重が5キロ戻ったり、伸ばしてた髪を少し切ったりもした。手話の勉強をしようと思ってユーキャンで教材買ったけど一度も見ないで閉まった。アルバイトの掛け持ちを始めたけど合わなくてすぐやめた。進学先も決まった。北海道の長い冬が終わって雪が解けたら幼稚園の先生の卵になる。

大好きだったアイドル金内柊真くんへの思いも今ではきっぱり捨てることができた。ジャニオタだった私も気が付いたら老衰かなんかで死んでた。今でもジャニーズ帝国の配下にありたい気持ちも少なからずあるけど、死んじゃったし、私。これから息を吹き返すことがあるかもしれないけど当分は死んだままでいいかなと思っている。

ひとめぼれしてから人生全てを捧げていた吉沢亮くんは話題の映画に出演したり、主演作ができたり、俳優として着々と前に進んでいる気がする。嬉しくて堪らないけどどんどん離れていくその背中を見つめ続けるのが少ししんどいなぁって思うことも増えた。これからの私は迷走中だけど一生吉沢くんの味方でいたいとは思う、この先ずっと私は彼の味方。

少し前置きが長くなってしまったけど本題に入る。今、私の世界の中心にいるのはジャニーズでもなく、吉沢亮くんでもなく、ポルノグラフィティだ。今まで記事にすることが無かっただけで何も突然ポルノのことが好きになったわけじゃない。というのも私はジャニオタをやる前、小学生の頃からポルノがなんとなーく好きだった。この『なんとなーく』は本当に『なんとなーく』でしかないからファンでも何でもない。それに色んなことに疎かった当時小学生の私はお母さんに頼んでCDを買ってもらうこともなければツタヤに駆け込むことも無かった。少し期間が空いてジャニオタとして成長した中学3年生の私は改めてポルノと出会った。何がきっかけで好きになったのかは記憶に残ってないがポルノの出演するメディアはしっかりチェックするようになったしYouTubeとかでいろんな映像を見たりもしていた。ツタヤにも駆け込んだ。高校生になると自分のバイト代でlove up!(ポルノのファンクラブ)の会費を払い、円盤を買い、チケット代を払い、様々なグッズを買い(グッズ展開には頭を抱えることがある)、Tシャツやらタオルやらフル装備でライブ会場に向かうぐらいには好きになっていた。でも一昨年のツアーもFCUW5も札幌のたった一公演で満足していたし去年のロマンスポルノへの遠征も一瞬考えてすぐ諦めた。今までの私の世界の中心にいたのはジャニーズと吉沢くんだったし特に問題はなかった。

 

それがどうだ、今年の15th ライヴサーキッド “BUTTERFLY EFFECT”の札幌公演に2日間入ってしまっただけで全てがひっくり返ってしまった。ポルノのファンはネタバレを嫌う人が大多数だから何も言うことができないけれどとんでもなくエネルギーに溢れているライブだったなと思う。それはもう死ぬほどかっこよかった。今までの人生であんなかっこいい43歳見たことがない。元々ボーカルの岡野昭仁さんの顔面がどストライクだしもうこれはガチ恋やわ。一思いに抱いてくれ。

話が横道にそれたが本当に素敵なライブだった。鳥肌も立ったし泣いたし飛び跳ねたし暴れたし笑ったし最高に楽しかった。何もできない自分への嫌悪感とか、将来への不安とか、明日がやって来る憂鬱とか、全部どうでもよくなった。多分自分が意識してる以上に色んなネガティブな思いが腹の底にはあったと思うんだけど、昭仁さんに「お前ら最高じゃ」って「自信持ってけ」って言ってもらえるなら頑張れるなって思った。ポルノのライブはその場にいる全員の存在を肯定してくれる、そんな空気がある。

 

メジャーデビューから20年弱、ポルノグラフィティの長い歴史にはきっといろんなことがあったと思う、ハッピーなこともそうじゃないこともたくさん。色んな世間からの声も聞こえてきたに違いない。それでもポルノグラフィティは今も止まることなく走り続けている、ずっとずっと止まらずに走っている。だからこそ私みたいな若い新規のファンも増え続けている。もしポルノが途中で止まっていたら私とポルノが交わることは無かったのかもしれない。最近のインタビューでも似たようなことを話していたけれどロックバンドとして『止まらないこと』『長く続くこと』が正解なのかは分からないしそこに正解なんて無いような気がする。だけど止まらずに走り続ける意味はたくさんあるはずだ。「ポルノは商業ロックだ」という声を耳にすることがあるが1周回ってそんなことどうでもいいような気がしてきた。私は音楽に詳しいわけでも何でもないから『ロック』の定義が何かはよくわからない。ただ本人たちがロックバンドと言うならそうなのだろうし、もうそういう枠組みには収まりきらないのが『ポルノグラフィティ』のカタチな気もする。そして何もかも全部ひっくるめたポルノグラフィティの走ってきた道そのものが『ロック』な気もする。

 

そんな彼らだからこそ伝えられるものがあるのだろうし私には確かにそれが伝わった。始まりがあれば終わりもあることが世の常なのでポルノがポルノとしていつまで走り続けるのか分からない。だけど彼らがゴールテープを切るその日まで私は二人の背中を追いかけたい。願わくばその日までには自分も岡野昭仁新藤晴一のように何があっても走り続けることのできる、そんな人になっていたい。